三連休最後の海の日
摩文仁にある沖縄平和記念公園に行った
目的は戦争で亡くなった大勢の人の名前が
刻まれている平和の礎を参拝することであった
曾祖父、曾祖母、叔父の名前も刻まれている
そうだが私はまだ一度も尋ねたことがなかった
初、平和の礎である
沖縄平和記念堂
6.23慰霊の日に式典をしていた広場と平和の丘
修景池
礎は市町村別になっていて、入り口の所には
検索システムがあり、地図を印刷してくれるので
すんなりと目的の所へたどり着けたが
沢山の名前があるが、あいうえお順ではないので
地域の先頭から名前を目で追う
やまだ、やまだ・・・でさがしたら直ぐにみつかった
母や父はなかなか探せないでいた
それもそのはず生まれ育った地域であるので
知っている名前が沢山あるようだ
それを見てると昔が駆け巡るのだろう
父の祖父と親戚の名が刻まれていた礎
母の祖母、弟、親戚の名が刻まれていた礎
それぞれにお水をかけ、花を捧げ、参拝してきた
みな、安らかに眠ってください
この記事へのコメント
Posted by ♪るんるんチョコレート♪
at 2012年07月19日 11:23

コメントありがとうございます。
モモちゃん、メス、13~15歳。若い頃の写真です。
つたないブログですが読んで頂きありがとうございます。
こちらこそ、よろしくお願いします。
Posted by みつぐ
at 2012年07月19日 12:28

平和の礎への参拝・・・ありがとうございました。
私は、職業柄看護師なので、南部の平和祈念堂や平和の礎の写真
を見ると、ひめゆり学徒隊や白梅学徒隊に参加して、若くして亡くなった
大勢の娘さん達のことを涙します。
ブログに載せて下さり、感謝いたします。これからも、素敵な写真とメッセージゆたしくっ・・(^-^)
Posted by るーあ at 2012年07月19日 16:29
Posted by みつぐ
at 2012年07月19日 18:11

私も先月、慰霊の日の翌日に5歳の息子を連れて行きましたよ。
かつて、新・旧の平和祈念資料館に勤務し、平和の礎のプロジェクトにも参加していたので、息子にいろいろと悲しい現実を少しだけ、話してあげました。
そしたら、急に住民が自ら崖から飛び降り命を絶った“ギーザバンタ”に向かって息子が小さい手を合わせたのです。
驚きました。この子も戦争の悲惨さを理解してくれたのかなと思いました。
平和の礎には、名前が判らず「○○の長男」などと刻名されている方もいらっしゃいます。
たとえ一家全滅だとしても、名前が判らなくても、彼らの存在を知る方々のご協力で、刻名されています。
かけがえのない「一つの命」の大切さ・重さを強く感じる場所でもありますね。
Posted by ATTIMO
at 2012年07月19日 23:28

Posted by みつぐ
at 2012年07月22日 14:20
